こんにちは。Manamiです。
今日は私の育児についてお話しさせてください。
よく育児については保護者の方から質問されるのですが、自分の育児について特に自信もないので、あくまで一人の母親の回顧録としてお読みください(笑)
そう、保育と育児は全く別物なのです。
保育士だと育児ができるイメージですが、保育士として保護者にアドバイスができるのは、あくまで客観的だからです。自分の育児は近過ぎて全く見えません。ただ、知識はあるのでその点では有利かもしれませんね。
今回は現在中学2年生の長女が幼児だった頃のお話をします。
私は比較的若くで出産したので、子どもが小さい頃友達は遊び盛り。実家も遠く、夫の手伝いは皆無。今で言う完璧ワンオペでした。
子どもはかわいいものの、かわいいばかりではなく、一人になりたいと思うこともしばしば。
子どもが一人で仕事もフルタイムではない時はまだ余裕があり、長女が小さい時は本当によく関わっていたと思います。
語りかけも多くしていたので、言葉だけはとても早く、10ヶ月でママと言い、1歳で歌を歌い、1歳半で日常会話は全て話せていました。
「うわ〜ママ見て!人がいっぱいいるね〜何してるんだろう」みたいな会話を1歳半でできていたので、かなり早い方でした。
当時は天才かと思いましたが(笑)、ただ発達が早いだけでした。
そう、小さい時期のママにあるあるの、発達の早さが子どもの出来の良さだと勘違いしてしまう典型です(笑)
今でこそ笑い話ですが、きっとみんなあるのではないでしょうか。当時は真剣にウチの子すごいと思っていました(笑)
発達の早さは個性であり、歩くのが早い、話すのが早い、おむつが早く取れた・・・など、その後成長するとなんてことありません。
もっと言えば、自然分娩か帝王切開か、とか。母乳かミルクか、とか。全く成長に関係ありません。
今悩んでいるお母さんがいれば、声を大にして言いたいです。
子どもの成長を気長に待ってください。(笑)
長女の例で言えば、言葉が早い分、意思疎通ができるのでなんで泣いているかわからないというイライラはありませんでした。
そういう意味では楽させてもらったのかもしれません。
しかし1歳半でしっかり話せるということは、その分意思もしっかり持っている子どもだったのです。
1歳半を過ぎた頃からイヤイヤ期が始まりました。
全てにおいて嫌。来た来た、イヤイヤ期。この時はまだ余裕がありました。
教科書通りに反抗してくる長女。
「だめ」と言っても嫌。「いいよ」と言っても嫌。スーパーで寝そべって駄々をこねる日もよくありました。(だからいまだにそんな子どもを見かけると、お母さんがんばれ〜と心の中でエールを送ってしまいます)
最初はイヤイヤ期だからという気持ちで対応していました。しかし、長女のイヤイヤ期は2歳になっても3歳になっても4歳になっても終わりませんでした。
なんとイヤイヤ期が終わったのは9歳!それまでずっと反抗していました。
9歳にもなったらもはやイヤイヤ期ではありません。ただの性分です(笑)
長女は全てにおいて意思がはっきりしているので、絶対曲げずに主張します。しかし、それが筋が通っていないことも成長と共にわかってくるのです。そのどうしようもないジレンマがさらに自己主張を増長させます。
例えば宿題をしなくてはいけない、でもやりたくない、でもしなくてはいけないことはわかっている・・・
このような時、全てが嫌になりとにかく泣く喚く暴れる。これに下の娘もいて、私一人で対処していたので、大きくなったイヤイヤ期は本当に大変でした。
またこだわりも強く、「リモコンはこう置かなきゃダメなの〜」とか、「この消しゴムじゃダメ〜」とかで号泣していました。
高音でキーッと泣き叫ばれると、こちらもほとほと参ってしまいました。それが1日に何回も・・・。
私は孤独で、何度も折れそうになりました。でも保育士だし、若いお母さんだからできないと思われたくないという変なプライドもあり、SOSも出せずに一人で何度も泣きました。
10歳の誕生日を迎える前にイヤイヤ期が突然なくなりました。本当にいつの間にか泣き喚かなくなったのです。話が通じるようになりました。
小康状態が続き、11歳の誕生日頃には今度は母と距離を取るという反抗期スタイルに入り、今は思春期真っ只中ですが反抗期は落ち着き、比較的仲良しです。
でも振り返ると、私は長女に自分の意思が芽生えるよう、働きかけをしていたと思います。例えば選ばせること。これは何でも選ばせるのではなく、自分の中で選んでいいと思うことは必ず長女に聞いていました。例えば洋服は2セットこちらで予め用意して、朝どちらがいいか選ばせる。どっちの公園に行くか選ばせる、などです。しかし、選べないことももちろんあります。その時は選ばせません。(もちろん泣きますがダメなものはダメです。)
選ばせないと自分の意思に気づきにくくなりますし、でも全てを選ばせていると自分で選ばないと気が済まなくなります。(世の中思い通りに行かないこともたくさんあるので、ダメなことはダメで通していました。)
また例えば転んだ時も私は起こしませんでした。自分で起き上がり、私のところに抱っこして欲しいとくるまでは見守りました。
自分の気持ちを伝えること、これも幼い長女に働きかけていたと思います。
その結果、長女は意思の強い子になりました。もちろんこれは長女の持っている気質も大きく関係していると思います。しかし私自身の働きかけもまた一因であることも確かです。
私は自分の働きかけで、8年という長いイヤイヤ期を生み出してしまっていました(笑)
イヤイヤ期は辛かったのですが、この子の一本気なところをどこかに向かわせると真っ直ぐに行くことも感じていました。
だから長女の興味のあることはとことん付き合いました。
そして10歳の頃長女は揺るがない夢を見つけました。そこからはもう私の働きかけは必要ありません。自分で夢に向かって勉強し、真っ直ぐに進んでいます。
長女には全く早期教育はしていませんでしたが、きっかけを与えることで自分で自分を高める子どもへ成長していきました。
もちろんまだ成長途中で私の子育てが成功か失敗かはわかりませんが・・・彼女の夢をサポートし、二人三脚で進んで行くことが今の私の役割です。
疲れた時、迷った時に振り返ると道しるべでいられるように、目が離れることも多い時期ですが心は離れないようにしています。
余談ですが私が関わってきたたくさんの子どもたちの中で、私のとっては長女が一番大変でした(笑)長女をここまで育てたことが、私の人生の最大の功績かもしれません(笑)
長女も「昔は何であんなに泣いていたんだろうね」と言っています。そう、本当に謎なこだわり泣きが多かったんです。